友人のカミングアウトエピソード
GID(性同一性障害)にとって、周囲へのカミングアウトは不安な瞬間ですよね。
拒絶されたらどうしよう・・・という思いと、本当の自分を理解してほしいという思いで精神的にしんどいです。
僕の場合、周囲の理解が得られて仕事もできていますが、いろんなパターンがあると思います。
例は多い方が良いと思ったので、友人にカミングアウトのエピソードを書いてもらいました。
カミングアウト〜友達編〜
当時ハワイに留学していて19歳のときカムと言うか逆カミングアウトをされました。
自分が高校1年生の時、友達(A君とします)はバスケ部に所属していて ボーイッシュで声がめっちゃ高くてテンション高い奴だな〜 と言うのが第1印象でした。
けど、1学期が終わったらその子が学校からいなくなって 転校してしまったと言うのを聞いて少し残念に思いました。
結局喋ったことがなかったのですが、 卒業前にいきなりA君が学校に遊びに来て初めて対面で話しました。
趣味、好きなことなどが気があってすごく親近感が持った子でした。
服装がヒップホップ系でキャップもカッコ良くて好きな服着て生活てきてるのが羨ましいと感じました。
A君は通信の学校に転校した為、スカート履く必要がないから楽と良く言ってました。
会話してるとき、自分はもちろんスカートを履いてたので憧れていました。
可能ならスカートなんて履きたくない、学ランで登校したいと言う願望はありました。
A君とはたまたま機会があって何人かで何回か遊んでるうちに仲良くなって 連絡先を交換して自分は留学しました。
半年後くらいにいきなりメールで 「伝えたい事があるんだ。いつでも良いから連絡ください」と言うのが来て、普段元気の良い奴がいきなり 深刻そうなメールが来たのを自分はビビってスグに 「伝えたい事ってなに?どうした?」と言う返信をしました。
A君は「FTMって知ってる?」って言う返事が来てなんの略なのかよくわからなく 自分は都合を合わせて国際電話をしてA君の話を聞く事に。
電話の最初の声でかけた電話番号間違えたかな? と言うくらい以前の高い声は無くなり、少年みたいな声でA君が電話に出ました。
まずそれにビックリしました。
突っ込みどころ満載で質問をしたかったのですが最初に友達が 「性同一性障害」のことを説明されてカミングアウトをされました。
自分が「A君はA君なんだから素直に生きて良いと思うよ。わざわざ言ってくれてありがとう。 所でなんで自分にカミングアウトしてくれたの?」と聞いたら、A君は「同じトラ(ftm)だと思ったからカミングアウトしたんだよね」 と言われてハッとしました。
今までの人生の違和感ってこれだったのかな?と思い、 その日はとにかく質問ばっかりしてました。
気づいたらプリペイドカードの残高がなくなってしまいました笑
その後、自分について調べ始めました。
自分は今まで恋愛対象は女だけど自分自身女と言う自覚はありませんでした。
なのでレズビアンではないよな〜と悩んでいて、 告白された事は何度かあったけど断ってしまいました。(今考えたらもったいない事した笑)
そして????(名字)君と言われたり男として扱われるのが、心が安定しました。
逆に「ゴメンね、女の子なんだ。」 「男だったら好きになってたのに」と言われるのが心に傷つきました。
そっから一時帰国の度にまず最初にその友達と会うようになって、 性同一性障害について色んな事を聞くようになりました。
何で自分が性同一性障害だと思ったのか? 名前って変えられるものなの? ホルモン注射って何? 仕事とかはどうしてるの? 親とか友達にどんなふうにカミングアウトをした? 反対とかされない? 偏見とかない? 治療してからどう変わった? 付き合ってる人いるの? これからどうやって生きて行くの?とか他にも色んな質問や話をしました。 将来についても語りました。
もし手術したら海パン履いて海に行こう! 旅行で温泉に行くのも良いよね!
プランどうする?誰と一緒に行きたい? 結婚っていつ頃したい? どんな家庭を持ちたい?
今までは海に行くのは胸が目立って女か男かどっちだろうみたいな目線が 気になって楽しめなかったりして、温泉も女子風呂に入らないといけないから見た目が 男だから不審者扱いされるから時間をずらして入るか、各部屋にあるようなシャワーだけですませた時期もありました。
でも手術さえしたらそんな悩みは消えるから希望の光が見えました。
自分は当時学生ビザを使って留学していた為、 バイトが出来ない状態でお金を貯めることが出来ませんでした。
けど当時の状態でも出来る事はあると思い、 改名の資料を集めたり、一時帰国中になるべく カウンセリング行こうと思い病院を調べたり他にどんなftmがいるんだろうと調べていました。
留学中にいかに早く治療を開始できるかを考える日々が増えました。
今の状態をどのようにして脱出しようか必死でした。
でもまずは学校卒業してから治療を始めようかなと言う位の考えでした。
たまに時間を合わせては国際電話をして相談したら元気に励ましてくれました。
自分の扱いが"She"と言う扱いでへこんだり 銀行の窓口で名前が何で女の名前なの?と韓国人に突っ込まれたり、海外で知り合った友人からどういうふうに関わったらいいかわからないと言われたり素直に自分を表現できる場所がなかったり・・・(特にカミングアウトする前、恋愛話はほとんどしたことがなかったです。)
A君は凄く明るい性格で時には自分がマイナス思考になってるとき、 元気に励ましてくれて、自分らしくFtMとしても素直に生きても良いんだって教えてくれた大事な友達です。
カミングアウト〜母親編〜
友達にカミングアウトされた次の年の夏、 留学中でしたが、まだ自分からは誰にもカミングアウトをしてなく、 毎日が苦痛でした。
相談できる相手が日本にしかいなかった為、 現地の友達とコミュニケーションがとりづらくなり、 精神的に病んでしまい、とても生活できるような状態ではありませんでした。
とにかく無気力状態で何に対してもやる気が出なく、 外に出るのがやっとで、授業に追いつけなどもってのほか。
留学してるはずなのに、周りに合わせてイエスマンになっていたり、 自分自身が余計に何者かわからなくなっていました。 まるで他人みたいな感覚でいました。
当時、つらすぎて気づいたら親に国際電話で 「暮らすのが辛い。一回日本に帰ってもいい?」 と理由は無しに伝えました。
そうしたら「いつでも帰ってきな」と言う返事をもらえた瞬間、 安心感と情けなさが重なって涙が止まりませんでした。
スグに受けてた授業を全て放棄して日本に帰国しました。
航空券を買って電話をした2日後、日本に3週間ほど帰国しました。
当時、何度か自分が胸をとる手術をしている夢を見て、 毎朝起きたら自分には胸がある現実に戻って涙が流れてた事あったほどです。
帰る場所があるのは凄くありがたいことです。 親も理由なしに帰って来いと言ってくれたのは本当に助かりました。
その3週間何をしたかと言うと、とにかく遊びまくりました。
急な用事なのに遊びに付き合ってくれる友達もいたので凄く感謝してます。 その時に何人かに始めて自分からカミングアウトをしました。
自分が「A君(自分にGIDのことをカミングアウトした人)と一緒で性同一性障害かもしれない」と言ったら、友人は「◯◯(あだな)は自分らしく生きていけば良いんじゃない?変わらず友達だよ。」 と言ってくれたので心が救われました。
人生で味方がいるだけでこんなに強くなれる感情が出てきたのは 初めての経験だったのでなおさらでした。
ただ母親にカミングアウトする勇気は無く、またアメリカに戻ってしまいました。
なぜなら母親は真面目な性格なのでカミングアウトした際に自分に原因が あって障害がある子が生まれてきてしまったのではないかと自分自身を 責めてしまう可能性があって、その光景を見るのが苦しかったからです。
冬にも一時帰国して色々と考えた結果、 自分が性同一性障害だろうと自覚し、区切りが良い成人式前に 母親にカミングアウトする事にしました。
母親のことが心配でカミングアウト出来ないのは結局「自分がかわいい」から 何も言い出せてないのと一緒なんじゃないのかなと気づいたからです。
あとのことはカミングアウトしてから考えようと思いました笑
ある日の夕飯後、自分と母親が二人っきりになった時があって チャンスに思った時自分が話を切り出して
自分「実は今悪い所があって病院に行ってるんだよね」
母親「どうしたの?」
自分「性同一性障害って知ってる?カウンセリング行ってるんだよね。今の現 状じゃ生きてるのが辛いんだ。いずれは治療をしたい。」
母親「何かの勘違いじゃないの?、男の子っぽいのは知ってたけど体をいじ らなくても良いんじゃない?」
自分「今度病院予約したんだけど、その日都合いい?とりあえず説明だけで も聞いてほしい。」
母親は混乱してたけど次回病院に行くとき付き添ってもらった。
母親と病院に行ってカウンセリングを受けたところこんな会話がありました。
医者「何か質問はありますか?」
母親「女子中、女子校に通わせたことも理由にあるんですか?」
医者「いいえ、関係無いです。」
うーん、何か母親が子供に女子中、女子校に行かせたのを後悔してるのかな?
ちょっと複雑な気持ちになったけど、言われて複雑な思いを残しながら その日は終わりました。
後日、母親から「今世は諦めなさい」とだけ言われました。
母親の考えは理解は出来たけど治療は反対と言う意見でした。 やはり体に負担のかかる事はやって欲しくないと言う親心があったみたいです。
しかしその当時、自分の心のショックは計り知れませんでした。
何も言い返せない状態で、また家族に心を閉ざし、 アメリカに戻って留学生活を再会してました。
家族と離れて暮らしてる為、なべシャツやトランクス、 ボクサーパンツなどは気軽に着用出来る環境だったので進んで使っていました。
未治療でもそれなりにパスしていてパートタイムで男として 生活することも出来ていました。
やはり自分はこの状態が自然なんだと何度も感じました。
母親は自分が留学中に現地に来てくれた事が合計二回あります。
そのとき外食に出かけたときに自分が男子トイレに 行っても何も言わなくなりました。
以前でしたら「なにしてるの?」とか 「あら、やだ…。」とか言われるのがオチだったので 少し心境が変化したのかなと思います。
もちろんそのときに男物の下着を付けてるのもバレバレでした笑
母親はそのことに関しては何も言わずに対応してました。
いろんな場所に案内して楽しんでくれたので良かったです。
最終的に留学生活中色んな事情で精神が弱ったのと、 いつまで経っても治療が出来ないストレスがあって生活するのが難しくなり 日本に長期帰国決意して学校を休学しました。(55キロから46キロまでやせました)
腰も悪くなって椅子に座って授業を受けることが難しくて 立ってノートを書く日もありました。
心と体のバランスが最大級におかしくなった時期でもあって、 あともう半年留学してたら死んでたんじゃないのかなと思います。
自分の当時の主な症状です。
坐骨神経痛(腰) 虫歯(保険が無いため治療できず)→食欲不振 鬱病 性同一性障害 発達障害(ADD)が自分の症状でした。
日本に帰国後に、「GIDの治療を始めたい。このまま生きるのは無理。」 とヤツれた状態で伝えたら「親の幸せは子供が幸せになる事だからやったら良いよ。」と言われ、 カウンセリングからスタートさせました。
カミングアウトして同じ場所で生活できたコツは 自分らしく生きれたら幸せになるんだよとアピールを ひたすら続けていました。
そして治療に関しても自分がこのまま何もしないで歳をとって行くより 治療を初めて一生続けて副作用がある以上に幸せになると確信を持ってる。 そのことも大事だなと思います。
確信が無いうちは治療を始めない方が良いです。 後々の人生の後遺症が残るだけです。
現在は以前より理解してくれてて実家暮らしでも問題ないです。 その状態になるまで3年近くかかりました。