サイト管理人タカの知人の体験談
性同一性障害という言葉を知った中学時代、 GIDを確信した高校時代、 葛藤の嵐を過ごした大学時代、 女性として新卒入社して始まった社会人生活。
そんな僕の、GIDを受け入れ、男性として生きていくと決めた物語です。
少しでも読んでくださっている方の気づきになったら良いなと思い、赤裸々にエピソードを紹介します。
生い立ち@幼少期から幼稚園
女の子として誕生したこの日は、まだ残暑が続いて暑かったらしいです。
お医者さんから心臓音が他の子と若干違うと言われましたが、支障なく生活出来てたので気のせいだったようです。
僕の場合は、物心ついた時から自分の身体に違和感を感じていていました。
なので、GIDの始まりは幼稚園前だったと思います。
保育園では女の子の割合が高かったのですが、 一緒に遊ぶのは男友達のほうが多かったです。
その時はよく母親に「僕のおち〇ち〇はいつ生えてくるの?」とよく聞いていたようです。
とにかく外で動き回るのが好きで、保育園のときは木登りしながら上の方に登って親の迎えを待ってたらしいです。
この頃から僕は極端に女の子を象徴されるものが嫌いでしょうがなかったです。
特にスカートや、赤色のもの、お人形で遊ぶのが嫌いだったのをよく覚えています。
そのかわり好奇心旺盛で、迷子になることも多々ありました。 知らない人に付いて行ってしまうこともありました。
自分もいつかは立ちションできると思っていたり、 もちろんお風呂で練習したら失敗してバレないようにすぐに掃除をした時期もありました。
公共の場で女子トイレに行ったら良く 「僕そっちじゃないよ〜」 って言われて不快に思った事があったり。
七五三の時は化粧をされて着物? を来て撮影をしました。
みんなの前では笑顔でいましたが、 気分が悪くなって 家に帰ったらスグに必死に顔を洗ったのを鮮明に覚えてます。
何でこんなめんどくさいことやらないといけないの? 何で3歳と7歳のときのイベントに 参加しないといけないの?と疑問に思っていました。
そして「5歳の時のイベントにも参加したい!」 と親に無理を言って男の子のイベントに参加した覚えがあります。3歳と7歳の頃よりも 一番テンションがあがりました。
この頃にはもう呆然と男の子扱いをしてもらったほうが心が落ち着くという感覚を持って生活してましたね。
生い立ちA 小学生時代
昔の記憶はあまりないけど、小学校入学時までは年中坊主で、当時はそれが嫌だったのはすごく覚えています。
父親からは後々、あの時に坊主にしてなければ、なんて話もされたけど、個人的には全くもって関係なかったと思います。
実際、その頃は女の子なのに坊主であることが嫌でたまらなかったわけで。
僕の下には妹と弟がいて、散髪代とか手間がかかるからって理由だけで、二人とも小学校に入るまでは坊主が基本スタイルでした。
小学校では入学式以外でスカートを履くことはなく、“可愛い”よりも“格好良い”と言われるほうが嬉しかったです。
髪型はずっとショートカットで、小学校3年生からサッカーを始めると更にボーイッシュな格好を好むようになって、
「男の子だったら良かったのに」
と思うようになっていきました。
逆に、好きな男の子がいた記憶もあれば、小学校5年生の時に初めて男の子から告白をされて 、嬉しいと感じた記憶もあります。
小学校5年生の時、身体に事件が起きました。
トイレに行くとパンツに血が出ていて、病気になったのかと思い母親に相談しました。
答えは「生理・・・」。
とてつもない違和感を感じたのを覚えています。
小学校6年生の時には初めて女の子を好きだと感じましたが、この頃はまだ深く考えたり悩んだりすることはありませんでした。
生い立ちB 中学生時代
中学校では制服のスカートが嫌で、学校生活は常にジャージでした。
制服になるのは、それこそ始業式などのイベント事の時くらいです。
中学校に入ってから、書類に性別欄があるとチェックをつけるだけの動作に不快感を覚えるようになりました。
多分この頃は、“女であること”が嫌なのではなく、中性的でいたいというどっちつかずな自分が嫌だったのだと思います。
“男になりたい”というよりは、“男の子って良いな”という憧れ的なものが強かった時期ですね。
中学2年頃からは、女の子よりも男の子と多く遊ぶようになって、何となくだけど自分の心と体の性に違和感を覚え始めました。
丁度テレビで、3年B組金八先生を再放送していて、上戸彩さんが性同一性障害の生徒役を演じていた頃で、自分にとってはとても親近感の湧く、そして興味をひくドラマでした。
髪が短く、学校でも休日でもいつもワックスをつけてツンツンに立たせていたせいもあってよく男の子に間違えられたけど、嬉しい半面、複雑で。。。
中学校では自分以外にも何人かサッカーをしている女の子がいたおかげで、地元のクラブチームにも所属しながら、3年間サッカー部にいました。
何度か好きだと思える子が現れたけど、皆、女の子でした。
中学校3年生頃からは自身をGID(当時はその言葉は知らなかった)と疑うようになって、インターネットで色々と調べ物をしたことを覚えています。
そして、自分がGIDと分ったら友人達が離れていくと思い、”積極的に友達を作る”ということをしなくなりました。
いつ失っても良いように、失った時に悲しむことがないようになんてことを考えていました。
当時は悩みを相談できるような相手がいなかったので、気持ちを吐き出すために詩を書くようになりました。
何冊にもなったノートはもう捨ててしまったし、きっと今読み返すと恥ずかしいんだろうけど、絶望に染まったもの、希望に満ち溢れてるもの、両極端な詩が多かった気がします。
俗に言う”出来の良い子”で育ってきた僕は、両親に
「制服のない高校に行きたい」
すら言えず、薦められるがままに自転車通学圏内の学校に進学しました。
中学校時代は小学校時代と同じくらい記憶が曖昧で薄っぺらいです。
生い立ちC 高校生時代
高校でも中学校同様、3年間サッカー部でした。
相変わらず友達を作らない主義は貫いていて、同級生からは少し距離を置かれて、下の名前で”●●さん”と呼ばれていました(笑)
入学式からスポーツ刈りが少し伸びたくらいの短髪で、校内では学年問わず格好良いと言われていたので、特別男っぽく振る舞うことも、敢えて女っぽく振る舞うこともしなかったです。
サッカー部ではえこひいきなんかはせずに他の男子部員同様に扱ってくれたけど、やっぱり体力とか筋力、持久力や体格差なんかを自分自身で比較してしまって、体が”女”であることが凄く悔しかったです。
何人かの女の子には本気な感じで告白されて、嬉しいとは感じたけど付き合うまではなりませんでした。
2〜3人好きだと思える子がいたけど、軽蔑されたり関係が気まずくなるくらいならこのままずっと友達でいい、と考え、想いを打ち明けたことも、打ち明けようと思ったこともなかったです。
高校3年生の時、多分今までで一番大きな恋をしました。
今でも時々思い出すくらい、自分にとっては忘れられない恋。
いつも彼氏と喧嘩ばかりしていて、部活帰りにふと教室を覗くと静かに泣いていたその子は、慰めに行く度に
「●●が男だったらよかったのに」
と繰り返し、自転車を二人乗りしながら
「●●、私の彼氏みたいだね」
「僕が彼氏だったら絶対悲しい思いなんてさせないし、誰よりも幸せにする」、
そんな風に思ったけど、この身体じゃたかが知れていました。
だけどそれが、女として女の子が好きなんじゃなくて男として女の子を好きだと感じている自分を認識し、GIDであることを確信した瞬間でもありました。
ただ、家族や友人に話をしたり相談したり、ということはこの時もなかったです。
生い立ちC 大学生時代
大学は私服で通学できるので、制服で居るよりはいくらか過ごしやすいものの、校内では教授や先輩から男の子と間違えられることが多々あり、その度に説明をするのが心苦しかったです。
過大な被害妄想かもしれないけど、見知らぬ人からもジロジロ見られたり小声で噂されたりする(気がする)ことがあり、気の重い日々を送っていました。
大学1年生の頃に2歳年上の先輩に告白されて、男性と付き合ってみたら自分の中で何かが変わるかもしれない、という細やかな期待を抱いて“yes”と回答したけど、3ヶ月も持たなくて、結局GIDの自覚が強まっただけでした。
この頃は常に情緒不安定で、毎日死ぬことばかりを考えていました。
信号待ちをしながら・・・ ホームで電車を待ちながら・・・ 歩道橋を歩きながら・・・ マンションの4階から下を眺めながら・・・
死ぬ時はどんな気持ちなんだろうとか、 自分は果たして天国にいけるのだろうかとか、 高校の卒業写真が遺影に使われるんだろうなとか、 葬儀の時に泣いてくれる人はいるんだろうかとか、 ネガティブな考えがエンドレスリピートでした。
大学生にもなって万引きをして捕まった時に、母親に「育て方が間違ってたのかな」と言われた時は、中身も外見も出来損ないだな、って心底思いました。
2日連続でタトゥーを入れて、アホみたいにピアスの穴を色んなところに開けまくって、無理な拡張をして、カッターナイフを手首にかざしてみて、あの時は痛みを感じることだけが生きてることを確かめる方法でした。
そして、その痛みに耐えることで、自分は強くなってると思っていました。
自分を女だと言い聞かせてヒールのある靴を買ってみたり、髪を短くして男っぽく振舞ってみたり、自分というものを見失い、方向性を見失い、夜布団に入るといきなり恐怖や悲しみに襲われて、理由も分からないまま毎晩泣いていました。
何をどうしたいのか自分自身でもわからないから、ネットの世界にも現実世界にも、相談できる人は居ませんでした。
人生のやり直しがきかないのなら いっそこのまま消えてなくなりたい・・・
そう、何度願ったことか。
自ら命を絶つ権利もなければ生き続ける義務もなくて、 出口の無い真っ暗なトンネルに独り取り残された気分でした。
しかし、大学3年生の頃、アルバイト先で出会ったある人の存在で、それまで崩壊していた精神面が少しづつ落ち着いてきていました。
そして、周りから大分遅れをとりながらも、3年生から4年生に上がる頃から就職活動を始めました。
ヒールのある靴で出歩くのは勿論苦痛以外のなにものでもなかったし、履歴書を書くたびに早く男になりたいと切に願いました。
昔から優等生で生きてきたから両親を悲しませるようなことだけはしたくないと思っていて、家族を苦しめるくらいならこのまま一生我慢して過ごすのも一つの手かもしれない、とも考えていました。
大学生時代に治療や手術に踏み切れなかった理由は、金銭面と就職のことを考えて。
ただ、GIDだと確信があるなら、間違いなく治療は若いうちから始めた方が良いと思います。